« ワーキングプアと業界の将来を憂う | メイン | 軽量なプロジェクト管理フレームワークへの探求 »

王道と覇道の例え話

FMSCでは、そして特に私は、「王道」ってキーワードを時々使うことがあります。それは弊社のサービスポリシー、あるいは手法や思想などを表現する際に用いているキーワードなのですが、今日はその由来に関するお話です。この王道ってキーワードの出所は、実はテニスにまつわる「王道」と「覇道」のストーリーが背景にあります。

個人的な話からはじめて恐縮ですが、社会人になりたてのころ、仲間とテニスのサークルをしていました。社会人になってから本格的にテニスを始めた私にとって、ある程度、基本も技術も身について上手くなった頃、社内のテニス大会に出場することになって、もちろん何としてでも勝ちたいわけですが、やはりまだまだ技術も経験も未熟なわけで、独特のフォームで変な回転ボール仕掛けてくる相手や弱点ばかりを徹底的に狙ってきて嫌な気分にさせられてしまうような相手には勝てないわけです。そこで、この先、どのようなテニスを行っていくか、どのように上達して行ったら良いのか、悩むわけですが、その時に、ダブルスのペアを組んだ元テニス部の後輩から教えられたのが、「テニスには王道と覇道があって、私は王道のテニスを志しています」と。つまり「王道で強くなりたいし、王道で勝ちたいのです」ってこと。そのことがきっかけで、妙に「王道」って道に惹かれてしまった自分がいるのかも知れません。


今から調べると、宮本輝氏の「青が散る」という小説がルーツみたいですが、テニスには「覇道のテニス」と「王道のテニス」がありますと。覇道のテニスとは、勝つために手段を選ばず、フォームが独自の我流で、ボールには変な回転を掛けるような変則テニスです。王道のテニスとは、基本を大切にして、正々堂々と綺麗なフォームで素直なボールを打つような正統派のテニスです。どうせやるなら、他人から見て真似したくないと思われてしまうような我流のテニスではなく、他人から見てそれを身に付けたいとか学びたいと思われるような流儀のテニスを志したいものです。特に、我々のような技術や手法を伝授する立場にある人間にとっては、この「流儀」の考え方は重要なことのように思います。


ここであまり綺麗事ばかりを書きたてるつもりはないですし、覇道と王道にも賛否両論があることでしょう。覇道を用いないと勝てない状況にも多く遭遇することでしょうし、王道に拘り過ぎるのも決して良くないのでしょう。特別な必殺技と言うかキラー技があってこそ、一流になれるのかも知れません。ただ、強く洗練された王道という土台があってのことと思います。少し青臭い考えかもしれませんが、「王道で強くなりたいし、王道で勝ちたいのです」。そして、そのためのテクノロジーや手法や思想哲学といったものを提供したいのです。そんな思いで「王道」って言葉を使っています。

以上、少しの話のネタと結論が強引ではありますが、そんな感じな王道と覇道の例え話でした。


トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.fourmeisters.com/mt/mt-tb.cgi/131



About

2007年11月28日 23:12に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「ワーキングプアと業界の将来を憂う」です。

次の投稿は「軽量なプロジェクト管理フレームワークへの探求」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。